2026年8月9日に放送されたTBS【情熱大陸】にフライングドクターの次田展之さんが出演されました。
次田展之さんは社会医療法人心海会の理事長を務め、へき地・離党医療に特化した診療所運営を行っています。
医師として自らヘリコプターを操縦し、医療現場へ向かう、そんな次田展之さんについて深掘りしてみたいと思います。
この記事では
- 次田展之さんの年収について
- フライングドクターになる前は何をしていた?
次田展之さんの年収はどれくらい?
次田展之さんの具体的な年収や個人収入の詳細は、公開情報からは確認できませんでした。
ですので筆者が独自に調査し推測してみたいと思います。
結論から言いますと年収は概算で2800~3000万円と思われます。

思ったよりも少く感じます。
一般的な医療法人の理事長(院長を兼ねるケースが多い)の収入は、施設規模・収益・地域・診療科目によって大きく異なりますが、厚生労働省の「医療経済実態調査」などの公的データに基づく相場は以下の通りです。
第25回医療経済実態調査(2024年度実績、2025年公表)によると:
- 医療法人立(※1)・無床診療所院長:平均約2,872万円(前年度比+4.5%)
- 医療法人立・有床診療所院長:平均約3,232万円(同+0.5%)
- 医療法人立・一般病院長:平均約2,900万円(同-2.5%)
次田展之さんが理事長の社会医療法心海会が運営する診療所は3カ所あり、診療科目は以下の通りです。
診療所別の詳細
- 百島診療所(広島県尾道市)
- 内科
- 外科
(予防接種なども対応)
- 佐木島診療所(広島県三原市)
- 内科
- 外科
(木曜日はJA尾道総合病院の医師による診療あり)
- 岩城島診療所(愛媛県越智郡上島町)
- 内科・外科(複数曜日)
- 整形外科(月曜日午前、予約制)
- 精神科(火曜日の第2・4週)
- 皮膚科(金曜日など)
- 訪問診療(水曜日午後など)
これらの診療所すべてが無床診療所ですので、医療実態調査の平均約2,872万円に該当します。


※1 医療法人立
「医療法人立」とは、医療機関(病院・診療所など)の開設者(設立・運営主体)が「医療法人」であることを意味する用語です。正確な意味
- 開設者が医療法人の場合に「医療法人立」と呼びます。
例:「医療法人立の診療所」「医療法人立病院」 - 対比される主な分類は以下の通りです。
- 個人立:個人の医師(開業医)が直接開設・運営する場合
- 国立・公立・公的:国・地方公共団体・公的団体などが開設する場合
- その他(社会福祉法人立、会社立など)
厚生労働省の「医療経済実態調査」などの統計資料で、医療機関を開設者別に分類する際によく使われます。
もしかすると次田展之さんの収入はもっと少ないかもしれません。
無床診療所の場合、医業収益規模や患者数、地域(離島・へき地)によって大きく変動します。
離島では患者数が少なく、補助金や自治体支援が経営を支えるケースも多いです。
次田展之さんの場合、複数診療所の運営、ヘリコプターの維持費、スタッフ人件費などの経費がかかる一方、へき地医療に対する公的支援や自治体からの協力(建物無償貸与など)も受けている可能性がありますが、個人の収入には反映されません。



お金目的では到底できないことをされているんですね。
次田展之さんの驚きの過去フライングドクターになるまで
次田展之さんはフライングドクターになるまで何をされていたのでしょうか?
いつどこでパイロットの資格を取得したのかも気になりますよね。


【情熱大陸】でも紹介されていましたが、日本大学医学部在学中に小型飛行機の操縦免許取得のために渡米しています。
帰国後はアクロバット飛行チーム「エアロック」(※1)でプロのエアショーパイロット(コールサイン「NOBU」)として活動しました。
※1エアロック(エアロック・エアロバティックチーム)
航空自衛隊の戦闘機パイロットだったロック岩崎さんが「生涯飛行機乗り」でありたい、との思いから1995年に自衛隊を退官しました。
ロック岩崎さんが、エアショーパイロットの修行のため渡米し、1996年8月に設立したのがエアロック・エアロバティックチームです。
その後1996年11月3日と4日に南紀白浜空港にて行われた「スカイレジャージャパン’96」でピッツS-2Bと共にデビューを果たした。
創設者のロック岩崎さんが事故で他界後は、サニー横山さんがチーフパイロットとなり活動を再開しています。
2009年頃から機体の故障が見つかり、2010年の2月には機体修復により多くの時間と費用がかかること、今後もエアロックというチーム名で引き続きエアショー参加を継続して行くことを断念せざるを得ない結論となり、2010年3月をもってエアロック名義としてのチーム活動を終えることが発表されました。


次田展之さんは、ロック岩崎さんの2番機パイロットとして2000年頃からアクロバット飛行のフォーメンションフライトを開始ししています。
日本大学医学部付属板橋病院に勤務しながらのアクロバット飛行を2003年頃まで続けていました。



このときは趣味でパイロットをしていたのかなぁ?
アクロバットチームの活動を終えた2003年以降は医師に専念するわけですが、へき地や離島の医療に関わった事から問題意識を強く持つようになっていったようです。
このときに自分の持っているスキルを医師の仕事に活用できないかと試行錯誤した結果が現在のフライングドクターとしての現在なんですね。
同じ医療関係ですが病院専属シェフの山田康司さんについてはコチラ


あとがき
最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事では【情熱大陸】で紹介された次田展之さんについて年収とアクロバット飛行の過去について考察及び深掘りをしてみました。
次田展之さんのような医師がこれからも増えることを期待しますし、その手法が成り立つように国からの手厚い支援にも期待したいと思います。









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