2026年8月16日 放送の【家、ついて行っていいですか?】で大阪市十三で居酒屋を経営する堀口博信さんが紹介されました。
掘口博信さんは世界的な画家でありながら居酒屋を経営されています。
そんな堀口博信さんに興味が湧いてきたので深掘りしてみたいと思います。
- 掘口博信さんは何者、wiki経歴について
- 掘口博信さんはなぜ居酒屋を経営しているのか?
掘口博信さんは何者?wiki経歴を深堀り!

この店の元店主として知られる堀口博信さんは、実は単なる居酒屋の大将ではありませんでした。
金沢美術工芸大学の油絵科を卒業した本格的な洋画家で、パリ、マイアミ、アトランタなど海外での展覧会や受賞歴を持つ人物です。
しかも、画家として活動しながら十三で居酒屋を営み、地域活動にも積極的に関わってきました。
堀口博信wiki風プロフィール
- 名前:堀口 博信(ほりぐち・ひろのぶ)
- 職業:洋画家・画家
- 活動拠点:大阪・十三
- 経営していた店:居酒屋「富五郎」
- 出身大学:金沢美術工芸大学・油絵科
- 大学卒業:1965年
- 卒業制作:「群像」— 金沢美術工芸大学買上げ
- 主な画風:美人画、特に女性のヌードを中心としたパステル画
- 特徴:即興的にパステル画を描く独特のスタイル
- 海外での活動:パリ、マイアミ、アトランタ、中国などで展覧会・美術活動
- 主な受賞歴: 1986年 サロンド・パリ協会パリ展「エトワール賞」 1988年 ロイヤル美術家連盟「ベストアーチスト賞」 1995年 アトランタ環太平洋美術展「銀賞」 1996年 サロンド・パリ・マイアミ展「サロンド・パリ大賞」 1997年 サロンド・パリ東京展「準大賞」 1999年 20世紀芸術優品展「アジア芸術栄華勲章」 2003年 「フランス美の革命展 IN ルーブル」グランプリ賞
- ルーヴル美術館:本人の公式サイトには「ルーヴル美術館大賞受賞」の記録があります。
- 十三との関係:十三で居酒屋「富五郎」を営みながら、画家として作品制作を続けていました。大阪府の資料でも「洋画家(堀口博信)十三で居酒屋(富五郎)を運営して作品制作」と紹介されています。
- ユニークな特技:居酒屋で客を相手に、割り箸・醤油・ソースなどを使って似顔絵を描くことでも知られていました。
堀口博信さんは、金沢美術工芸大学の油絵科で美術を学びました。
1965年に卒業しており、卒業制作「群像」は金沢美術工芸大学に買い上げられています。
同大学の同期には、後に美術界で活動する明石瞳さんらもおり、堀口さんは学生時代から絵画の才能を発揮していたことがうかがえます。
なお、堀口さんの「高校名」については、公表されておらず、どこなのかは確認できませんでした。
堀口さんの人生でも特に興味深いのが、大学卒業後の進路です。
堀口さんは金沢美術工芸大学を卒業した後、実家の割烹料理店を手伝うことになります。
大阪府立東淀川高校の同窓会資料では、実家の割烹料理店を営んでいた父親が亡くなったことをきっかけに、店を継ぐ形で居酒屋「富五郎」を始めました。
そして驚くことに、居酒屋を始めたことで一時期、約7年間も絵筆を持たなかったんですね。
しかし、絵を描きたいという思いを再認識し、再び画家として活動を始めます。
その後の堀口さんは、
「居酒屋の経営」と「画家としての創作」
という二つの仕事を両立する人生を歩むことになりました。

まさに二刀流ですね。
大阪・十三で長年親しまれてきた居酒屋「富五郎」について(※1)。
「富五郎」の場所はコチラ
※1 居酒屋「富五郎」
- 創業:1932年
- 場所:大阪・十三
- 初代から続く老舗
- 堀口博信さんは画家として有名
- 現在は4代目の堀口詠士さんが店を継いでいる
世界的な画家 堀口博信
堀口博信さんは世界的な画家として紹介されることも多々あります。
その根拠は
- パリでの展覧会・受賞歴
- アトランタでの展覧会・受賞歴
- マイアミでの受賞歴
- ルーヴル関連の展覧会・受賞歴
- 国内外での多数の受賞歴 などからそのように言われているようです。
「世界的に活躍した画家」ということではなく、受賞歴や海外展覧会歴などから「世界的な画家」と表現されています。
世界的な画家の堀口博信さんはなぜ居酒屋を経営?


堀口博信さんが居酒屋を始めた大きな理由の一つは、
「画家になることを諦めたから」ではなく、「家業を背負うことになったから」
だったと考えられます。
堀口博信さんの人生を調べていくと、その答えは意外にも「家業」と「生活」にありました。
堀口さんは金沢美術工芸大学の油絵科を卒業。
卒業制作の「群像」は大学に買い上げられており、学生時代から画家としての才能を発揮していたことが分かります。
ところが、大学卒業後、画家として一直線に進んだわけではありませんでした。
実家は料理店を営んでおり、父親が亡くなったことをきっかけに、家業を継ぐ形で「富五郎」を始めることになったとされています。
居酒屋を始めたことで、7年間も絵筆を持たなかったのは、
居酒屋の仕事はご存じのように、画家としての活動とは大きくことなりますよね。
仕込み、調理、接客、仕入れ、店の経営……。
毎日の生活に追われるうちに、堀口さんは一時期、なんと7年間も絵筆を持たなかった というより7年間絵筆を持てなかったという方が正解かもしれません。
画家にとって7年間という時間は決して短くありません。
「絵を描きたい」という気持ちを持ちながら、生活のために居酒屋の仕事を続ける。
堀口さんにとって、この時期は人生の大きな転機だったのではないでしょうか。
そして、その後、堀口さんは再び絵筆を握ることになります。
この時から、堀口博信さんの「居酒屋店主」と「画家」という二刀流が始まります。


居酒屋の店主として働きながら、絵を描く。



醤油とソースを絵の具に見立てて似顔絵を書く
これは余興みたいなものなんですね。
上の画像の時に書いた似顔絵がコレです


ただ趣味で絵を描いていたわけではなく本格的に絵を描き続けています。
「富五郎」を経営しつつ、堀口さんは海外での活動もしています。
- 1986年にはサロンド・パリ協会パリ展でエトワール賞を受賞
- 1995年にはアトランタ環太平洋美術展で銀賞
- 1996年にはサロンド・パリ・マイアミ展でサロンド・パリ大賞
- そして2003年には「フランス美の革命展 IN ルーブル」でグランプリ賞を受賞しています
堀口さんの絵は、「居酒屋の大将が趣味で絵を描いていた」というものではなく、
本格的な美術教育を受けた画家が、居酒屋を経営しながら、画家として海外でも活動していたという事です。
堀口さんにとって「富五郎」は単なる収入源ではなく、十三という街、人との出会い、常連客との交流など、それらが堀口さんの人生の一部になっていったと考えられます。
店内には、堀口さん自身の作品が展示されています。
つまり「富五郎」は、画家としての堀口さんと、居酒屋店主としての堀口さんが交差する場所だったのです。



坂口博信さんの絵画はどこで見られるのかな?
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あとがき
最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事では、異色の経歴をもつ、堀口博信さんについて深掘りしてきました。
筆者は関西に住みですので、十三に立ち寄った時に「富五郎」に行ってみようとおもいます。
私も似顔絵を書いて欲しいと思いますが、堀口博信さんはご高齢のため、店に出ることはないようですのでそれは諦めます(笑)








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